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東関戸区の若連に所属する某若週のBLOG. 
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東関戸は、昭和9年まで西関戸と共同で一台の山車を曳いていましたが東西関戸間において昭和9年の新宿祭礼時のにおきた争いにより山車を解体し、現在の山車を昭和10年に製作しました。
このあたりは、「江戸優り」をご覧になっている方たちは勿論ご存知の事と思いますが。
人間の年にすると東関戸の山車(大楠公さんも)は、71歳という事になります。
人間で71歳ですと、結構お年をめしてきちゃってる訳ですが、山車の建造71年ですと、まだまだ働き盛りの年頃かと思います。
佐原には建造100年以上はあたりまえ、150年でも現役バリバリという山車がある訳ですから。
ちょっと前までは佐原では新しい山車の部類だった思われますが、ここ最近新造された山車あるため最近では中堅どころに入って来たのかもしれません。

さて、この東関戸の山車ですが佐原の山車の中では中堅どころといいましても71歳。
その割には肌つやもよろしく、骨格や足腰もしっかりしています。
年の割には比較的若い山車であります。
女優でいいますと黒木香タイプではないかと個人的には思っています。
まぁ、肌つやが良いのは平成元年に葺き漆による施工を行なった効果が大きい訳なのですが。
しかし肌もきめ細かく、欅の柾目を用いた山車はまだまだ若さを保っております。
この山車は、佐原の他の山車に負けず劣らずの拘りをもって作られていて
山車の新造計画の際、どの様な山車にしようか?と話し合った結果、構造は中川岸の構造が良い、大きさのバランスは北横宿が良い。
それでは二つの良い所も取り入れて、もっと良い物を作ろうという事だったらしいです。
そして製作した大工は、八日市場区の太田棟梁。
この棟梁は、町内の商家の出入りの大工であったのですが、当時の旦那衆が「大工を誰に頼むか?」と話し合った結果、この太田達四朗棟梁も勿論腕が良かった訳で、その力量も出入りの商家の旦那さんも知っていたわけですが、太田棟梁の弟に「和助」という人がいて、この和助さんが大層腕の立つ職人さんだったらしく「和助の腕 良し」ということで太田棟梁にお願いした。「墨引き 達四朗 施工 和助」にて製作されたとの事。
また、この山車を作る材木を取り寄せた際、一度目に取り寄せた材木では納得せず、二度目でも納得せず三度目に取り寄せた材木でやっと納得してもらったとの話を町内の材木屋さんに残っています。
構想から製作まで期間一年間で、このこだわりの山車を作り上げる。
私どもの先輩は、なかなか凄い先輩達だったわけです。

このように、材料を吟味して腕の良い職人さんに拘って作ってもらった結果71年たった現在も美しく丈夫な山車を曳く事が出来ています。
この山車を子の代、孫の代、曾孫の代まで残すよう大切に保存していかなければいけません。
そうです、まだまだ元気な姿でいてもらわないといけないのです。
勿論、この町内の宝を伝承保存というのは勿論です。
それ以外に、この山車をまだまだ大切にしないといけない理由。
それは、この山車がまだ未完成だから。
新造から71年たった今も未完成なのです。
完成させる前に、壊しちゃうわけにはいかないのです。
未完成部分、それは彫刻。
先人が構想計画した、この八本柱の山車には、また側面方立てが入るはずなのです。
その他にも、堂羽目彫刻、格天井彫刻もはまっていません。
これらを作り初めて、先人達の描いた構想の東関戸の山車が完成された事になるわけです。

この山車を受け継いでいく事、そして完成させる事、それらが山車を残してくれた先人に対する恩返し、そして今生きて祭りに係っている者に残された命題なのではないでしょうか。







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