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東関戸区の若連に所属する某若週のBLOG. 
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祭礼の3日目、お神輿の写真を撮っているK氏が久しぶりに見え昨年上梓した本を頂きました。本はK氏が蔵前神社の神輿彫刻にほれ込み、此の彫刻師を調査し神輿を制作した神輿屋さんの資料から八王子の山車と見当を付け調査に行き、八王子で多くの山車彫刻を手掛けた佐藤光重の消息を同じく調査していたA氏と出会い一緒に青森まで調べに行き10年掛かりの調査により出版されました。佐藤光重師は佐原の山車彫刻には関係ないと思っていましたが、光重の家系が後藤系の彫刻師であり茨城県龍ヶ崎市の旧地名の北方で活躍し近在には「北方住彫工後藤勘治」、「北方住彫工後藤藤太郎」の刻銘を刻んだ作品が多く見られると言う。A氏が問い合わせした龍ヶ崎市教育委員会の回答により佐藤勘治、佐藤藤太郎の原籍が龍ヶ崎市北方町にあり、二人は親子関係であることが確認された。
後にA氏の知人H氏から佐原長島の水神様向拝の龍の刻銘には「藤太郎藤原一重 門人重四郎」とあり佐藤藤太郎は後藤一重と同一人であると見られ他の資料からも確認されています。南横宿区の山車彫刻は清宮良造氏の調査により「北方住彫工後藤一重」が明治九年から十年掛けて彫刻されたと記録されている。佐藤家の系譜によれば藤太郎は文久元年(1861)~昭和六年没(1931)享年70歳であった。南横宿山車彫刻を始めたのは明治九年(1876)で藤太郎15歳であるが、北沢彫刻師に聞いてみると当時であれば一人前の仕事が出来たのではないかとのこと、父親の後藤勘治も健在(明治32年1899)でしたし。主な作品は我孫子に多くみられ名人であった言う。柴又帝釈天の浄行堂の彫刻を高石仙蔵師と共に手掛けたとも言われている。H氏からは佐原での調査結果を知らせて欲しいと言われています。
子供は、六人で男子は彫刻の道を進み、次男 竹次郎(光重)、三男 明(明誠)四男 清(清山)清山師の子K氏は健在で同じ道を歩んでいる。
記事 中郷
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