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第三回【座・音遊】講座「甦れ 佐原の唄」

日 時 平成20年3月30日(日) 午後2時開演
場 所 香取市佐原文化会館
入場料 全席指定 一般 3500円 小、中学生1000円
出 演(敬称略) 
邦楽囃子方  二世 望月太意之助
1974年 祖父である初代望月太意之助に手ほどきを受ける
1975年 十代目望月流家元 望月太左衛門に師事
1985年 二代目望月太意之助を襲名
現在、歌舞伎、日本舞踊、長唄囃子方として活躍中
         
三味線演奏者 本篠秀太郎
NHKテレビ三味線講座講師、桐明学園芸術短期大学講師
舞台やテレビ出演の他、作曲も多く手懸けCDを多数発売。
ワールドミュージックの旗手と呼ばれる。潮来市出身。
平成19年紫綬褒章受章

歌手 高橋キヨ子横浜市出身。母は佐原出身。
8歳から民謡を習い始め15歳「おばこ甚句」でデビュー。
1976年より本篠秀太郎氏に師事し、女性民謡歌手のトップ
としてテレビ・ラジオ・舞台など多方面に活躍中。

企画・主催/日本の芸能に親しむ会【座・音遊】

チケット販売所
佐原地区
小松呉服店       0478-52-3439
水郷佐原駅前観光案内所 0478-52-6675
忠敬茶屋        0478-52-4362
松本太鼓店       0478-52-2787
カフェ しえと     0478-55-8808

成田地区
石渡金物店       0476-22-0137
潮来地区
水郷街角ギャラリー   0299-63-3113
草野モータース     0299-68-2180 


一昨年「文楽」、昨年「日本の技と音」に続き、本年も座・音遊の講座が開かれます。
本年の講座は「甦れ、佐原の唄」と題し地元、佐原の為に作られた長唄「水鏡」の復曲演奏や、佐原囃子でもお馴染みの佐原小唄や佐原音頭、水郷小唄など地元の唄、数え唄(松飾り)など端唄等を本格的な邦楽演奏でご鑑賞いただきます。また牧野下座連による佐原囃子の演奏もございます。

また第二部においては、黒御簾音楽(歌舞伎下座音楽)の演奏と解説が行われます。


※「水鏡」は、昭和26年に稀音家六多郎氏が佐原在住の菅井誠太郎氏の依頼により作曲した本格的な長唄です。
水鏡の太鼓・大鼓・小鼓などのリズム楽器の手は初代、望月太意之助氏により作調されました。
「水鏡」と「佐原音頭」の大鼓・小鼓・太鼓などのリズム楽器の手は初代 望月太意之助氏の作調によるものです。今回の講座にあたり現在邦楽界でご活躍されている 二世 望月太意之助氏が初代と佐原との御縁からこの度「水鏡」の復曲にご協力を賜り、出演もして頂ける事となりました。



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以前、ふるさとフェスタで大好評を得た「さわらーめん」。
今年のふるさとフェスタでリニューアルで発売されるようです。

詳細はこちら

DSC03980
DSC03980 posted by (C)edomasari
町内廻りも終わり、横宿通りへ繰り出します。
撮影 ICHさん
祭礼の3日目、お神輿の写真を撮っているK氏が久しぶりに見え昨年上梓した本を頂きました。本はK氏が蔵前神社の神輿彫刻にほれ込み、此の彫刻師を調査し神輿を制作した神輿屋さんの資料から八王子の山車と見当を付け調査に行き、八王子で多くの山車彫刻を手掛けた佐藤光重の消息を同じく調査していたA氏と出会い一緒に青森まで調べに行き10年掛かりの調査により出版されました。佐藤光重師は佐原の山車彫刻には関係ないと思っていましたが、光重の家系が後藤系の彫刻師であり茨城県龍ヶ崎市の旧地名の北方で活躍し近在には「北方住彫工後藤勘治」、「北方住彫工後藤藤太郎」の刻銘を刻んだ作品が多く見られると言う。A氏が問い合わせした龍ヶ崎市教育委員会の回答により佐藤勘治、佐藤藤太郎の原籍が龍ヶ崎市北方町にあり、二人は親子関係であることが確認された。
後にA氏の知人H氏から佐原長島の水神様向拝の龍の刻銘には「藤太郎藤原一重 門人重四郎」とあり佐藤藤太郎は後藤一重と同一人であると見られ他の資料からも確認されています。南横宿区の山車彫刻は清宮良造氏の調査により「北方住彫工後藤一重」が明治九年から十年掛けて彫刻されたと記録されている。佐藤家の系譜によれば藤太郎は文久元年(1861)~昭和六年没(1931)享年70歳であった。南横宿山車彫刻を始めたのは明治九年(1876)で藤太郎15歳であるが、北沢彫刻師に聞いてみると当時であれば一人前の仕事が出来たのではないかとのこと、父親の後藤勘治も健在(明治32年1899)でしたし。主な作品は我孫子に多くみられ名人であった言う。柴又帝釈天の浄行堂の彫刻を高石仙蔵師と共に手掛けたとも言われている。H氏からは佐原での調査結果を知らせて欲しいと言われています。
子供は、六人で男子は彫刻の道を進み、次男 竹次郎(光重)、三男 明(明誠)四男 清(清山)清山師の子K氏は健在で同じ道を歩んでいる。
記事 中郷
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