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東関戸区の若連に所属する某若週のBLOG. 
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東関戸の正面右方立 「稲村ヶ崎の新田義貞」です。
金子光清作になります。

稲村ヶ崎は稲村ジェーンの稲村ヶ崎です。
この図柄は新田義貞といえばコレッ!!! 
というベタな図柄ですが、カッコいいですね。

有名な場面なんで皆さんご存知でしょうから簡単に。

鎌倉攻めの際に、大仏貞直の守る極楽寺切通しの守りが固く、さらに海岸は北条方の船団が固めていたが、義貞が稲村ヶ崎で黄金造りの太刀を海に投じ竜神に祈願すると、潮が引いて干潟が現れて強行突破が可能になったという伝説の場面です。

やはり有名な場面らしく東関戸のほかに、下川岸にも同様の場面の彫刻があります。
また人形の題材としてもメジャーで、古くは下分の人形が同様の場面でした。
少し前まで潮来の二丁目(現在は日の出地区?)にもありました。
関東近辺では、三熊野神社大祭 せ組、大宮氷川神社例大祭の宮町、高崎山車まつりの北通町なども新田義貞の飾り物を載せています。

またこの彫刻を仕上げたを手伝った方が最近までご存命でした。
その方は大野勘三郎さんです。
この方は、彫刻師後藤桂林(下仲町、下宿の彫刻を彫った明治~昭和に掛けて活躍した後藤系名工)の弟子だそうです。
当時、金子光清と後藤桂林の間で交流があったそうで、その縁で東関戸の山車彫刻制作の手伝いをしたそうです。
本人いわく新田義貞の彫刻の仕上げをしたとの事。
中郷さん等は直接お会いした事もあるようです。
私も是非一度お話を伺いたいと思いましたが残念ながら亡くなってしまいました。ご冥福をお祈りいたします。






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