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東関戸区の若連に所属する某若週のBLOG. 
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東関戸の人形は、大楠公です。
大楠公とは南北朝時代の武将 楠正成です。

この人形は、昭和10年に大柴護豊(徳次郎)の作です。
大柴護豊は、佐原に3つの作品を残しています。
上仲町の太田道灌、下分の小楠公です。
その他の地域には作品は、残っていないようです。
(色々と各地の祭礼を見ても作品が残ってはいないようです)
祭礼研究のHP 「祭りだ屋台だ」に記載してある情報ですと、大柴護豊は山本福松の弟子にあたるそうです。
山本福松は、安本亀八と並ぶ名生人形師、松本喜三郎に薫陶を受けたそうです。
ということは大柴護豊は、松本喜三郎の流れも汲んでいるということになるのでしょうか。

製作当時の上仲町下分の人形をみても、腕の良さわかります。
作品が殆ど残っていないというのは、とても残念におもいます。

さてこの人形は、昭和9年に東西関戸が喧嘩してお互いに別々の山車を作ることになった為作られた訳ですが、どうして大楠公になったのか?

当時の様子を振りかえって見ます。
私の手元に「東関戸史談会」という資料があります。
これが書かれたのは今から20年くらい前だと思います。
この資料は当時、東関戸の歴史を残すために有志の方で開かれた会だと聞きました。
歴史を残し伝えるために、昔のことをしっている年配の方にお話を聞くという会だったらしいのですが、この話をテープに録音してその内容を書面にまとめてある物です。
ノートに手書きの資料です。
信憑性の程はどの程度かわかりませんが、このような談話などは歴史を紐解く上でとても貴重な資料といえます。

その史談会の資料によりますと、山車製作にあたり新しい飾り物は何にしようと町内でも話し合ったそうです。
武者人形がいいという意見、いや武者人形は鎧があるから費用がかさむから神様の人形が良いという意見。
何が良いかと話合われ、神様の飾り物にしよう、神様は大国主命がいいのではと意見も大体まとまりかけた頃、町内のある旦那さんから「人形は家で作る」と申し出があったとの事。その方の一存で大楠公になったとの事。
ではなぜ 大楠公??ここからは私の勝手な推測です。
昭和10年は、楠公600年祭の行なわれた年です。昭和10年は、楠正成没後600年にあたり湊川神社では楠公600年祭、世間では大楠公に関する書物や絵が書かれました。

この横山大観の「大楠公図」も、この年に書かれ湊川神社に奉納されています。
大楠公は、昭和10年の時代背景もありこの年一大ブームだったのではないでしょうか?
今で言えば、大河ドラマの主役に取り上げられて、その大河ドラマが視聴率40%の大当たりといったところでしょうか?
そういった時勢を考えると「大楠公」を人形の題材に選んだのも納得できます。

さて、このあたりの事情が先日書いた「蕨手」のお話と関係してくるわけです。
↑で書いたように、人形を何にするか話し合っていたわけですが、史談会の資料には、神様の人形の候補は大国主命だったわけですが、武者の方の候補名は消されています。
これも私の勝手な推測ですが、武者の候補は「八幡太郎義家」だったのではと思います。
この人形をどうするか話し合っている最中に彫刻師に「人形は源氏にするから、それに関連した彫刻にしてくれ」と頼んだのか?それとも史談会では最終的には大国主命が候補になったとありましたが、実は武者の方が最終候補で、それを伝えてしまってあの蕨手の題材になったのではないでしょうか?だとすればかなり煮詰まったところでの人形の題材変更が行なわれたと推測できます。

この辺りが蕨手題材の謎の真相ではないかと個人的には思っています。




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