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東関戸区の若連に所属する某若週のBLOG. 
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こちらは東関戸の裏面欄間彫刻です。
作者は池田信之。
金子光清の次男であり二代目 金子光清を名乗っています。
製作年は、昭和26年の春です。
東関戸区の彫刻は、昭和10年に、額、正面欄間、正面左右方立、左右蕨手、蹴込、持送りの彫刻を金子光清が製作しています。
その後、資金や戦争の関係で彫刻の制作がされていませんでしたが、昭和26年に残りの彫刻を制作を再開しています。
昭和10年が第一時、昭和26年が第二期となります。

元弘三年(1333年)に、鎌倉幕府は後醍醐天皇と中心とする討幕派によって打ち滅ぼされます。
後醍醐天皇は、名和長年の軍を共に京都へと輦入ります。
この図は、その後醍醐天皇の鳳輦(ホウレン 天皇の乗った輿)を迎える
楠正成と伝えられていますが、笠置山落城のあと、京へ護送される天皇の鳳輦を遠く見送る正成の姿と解する説もあります。
場面としてはどちらともに捉えられるのですが・・・・。
彫刻師の下絵や箱書き、墨書きなどが残っていればわかるのですが。

中央の人物が正成でしょう。となりますとその後ろに控えるのは、弟の正李でしょうか。
後面の欄間ですので、提灯や注連縄でよく見ることの出来無い彫刻ですが、東関戸山車彫刻の中で唯一、楠正成が登場する場面でもありますので一度ご覧になってみてください。

追記
行列先頭の馬はこちらへ向かって来ていますので、迎えている場面です。この後、正成は行列の先導を仰せつかり、その馬上の姿が皇居前の銅像に表されています。像の監修は高村光雲、木型製作には石川信光も参加したようです。
追加記事  中郷










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馬の木型
2006/09/20(Wed)17:53:12
馬の木型の製作者について。
主になって製作したのは後藤貞行という人らしいですね。
軍馬局に勤めながら彫刻を行う。明治天皇所有の金華山号の彫刻を手掛ける。明治23年(1890)、東京美術学校へ。高村光雲監督の元、皇居前に立つ楠木正成銅像の馬の原型を制作。創作活動のため、馬の解剖をも行ったとの事。



関戸郷 編集 RES
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