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東関戸区の若連に所属する某若週のBLOG. 
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久しぶりの更新です。
久々の更新ですが、今日は東関戸以外の話題。

※今回の記事をお読みになる前に
この記事は、あくまでも私の個人的な推測です。
今回書きました記事には示すべき確たる歴史的根拠はございませんので、その点をお含みの上お読みください。





先日、祭関係のサイトを色々と見ておりました処、気になる写真を発見!!
祭だ 屋台だ」というサイト内にありました この写真です。
このSITEは、全国の祭りを管理者が見て詳しくレポートしてあるのですが、祭礼の飾り物や山車の分類がとても詳しく載っています。
私も毎回見るたびに目から鱗が落ちる凄いサイトなんです。
その中で見つけたこの写真!!


この人形は、東京都青梅市荒田地区八坂神社のご神体です。
題材は「和唐内(わとうない)」。
和唐内というのは、、近松門左衛門の浄瑠璃脚本「國性爺合戦(こくせんやがっせん)」 に登場する武士の名前で、中国、明の時代の武将と日本人女性の間に生まれたとされる武将・鄭成功のこと。門左衛門が、「日本人(和)でも中国人(唐)でもない(内)」とゆうシャレをこめてそう呼んだと言われている。(わからない というシャレもかかってる?)

この人形元々は、東京都八王子市大横町のものだったのですが、大横町会が青梅市の旧荒田地区(現在の同市小曽木三)に譲り渡したそうです。
その御頭が先日の「八王子まつり」に合わせて93年ぶりに里帰りした時一般公開されました。
その時の貴重な画像を「祭だ 屋台だ」の管理者様からお借りいたしました。

さて、そんな東京の人形の事がなぜこのブログで記事に?
ここで私と同じ祭マニアDNA(妄想癖?)をお持ちの皆様ならピーンと来た方はことでしょう。

この和唐内さん、佐原の「アノお方」に似ていませんか?
あの暴れん坊の神様のアノ御方!














この鼻筋そしてこの目玉、この険しく開いたお口
ともに白塗り

下川岸の素盞嗚尊様は、作者不明です。
この和唐内さんも作者不明です。
産みの親が誰だかわかっていない状態です。

この和唐内さん、制作年代は文久年間と言われています。
素盞嗚尊様は制作年代は江戸時代後期といわれています。
下川岸の彫刻の制作年代は文久年間といわれています。
彫刻と人形の制作年代が同じという可能性は大いに有かもしれませんね。

もしかして、この二つの人形現在産みの親知らずではありますが、同じ時期に制作され、作者が同じ兄弟の可能性が大いにあると思うのは私だけでしょうか?
同じ作者で同じ時期の作品であれば作風は似てくる物でしょう。

佐原の中では、一際異彩を放っているこの下川岸の尊様。

この画像を見て「尊様!!ご兄弟を発見しましたよ!!」
とびっくりしている所に、もう一枚もっとビックリの画像が






       この人もアノ人達に似ていませんか?








このお方は、「加藤清正公」であります。
この人形は、谷中坂町町会が所蔵しているもので、谷中・玉林寺の倉に、木箱に入れて納められていたそうです。
人形のお顔には肌色やひげの薄青色が残り、目には彩色されたガラスがはめ込まれている。と「祭だ 屋台だ」の解説に記載されていました。


もしかして・・・・・・・・・・・・・・・・
















     この人も兄弟じゃありませんか?



この鼻といい、目玉といい。この表情!!
「マチガイナイッ!」と、思わず言ってしまいそうです。

ではこれで、下川岸の尊様、和唐内さん、加藤清正公で親知らず三兄弟トリオ結成か?






いえいえ、この清正公にはちゃ~んと親の記録が残っていたのです













この清正公の産みの親の名前は・・・・
  「三代目・原 舟月」。
言わずと知れた名人形師で有ります。
全国各地に素晴らしい作品を残しており、佐原には船戸区の神武天皇が残されています。




そして、この清正公 お生まれになった年は「嘉永6年(1853)」であります。


これはあくまでも私の個人的な推測です。
確たる根拠はございません。
以下、私の推測


この三体は、同じ作者の作品である可能性が有る。
その中の一体、加藤清正公を作ったのは名人 三代目 原舟月である。
不明とされてきた下川岸の人形の作者は「原舟月」の可能性が有る。

どうでしょう?
勿論、これは私が人形の画像を見ただけで感じているだけですが・・。


※今回の記事を書くにあたり、「祭だ 屋台だ」管理者様より画像使用の許可をいただきました。有難うございました。

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無題
2007/03/02(Fri)21:37:42
人形以外にも、作者不明のものが佐原には、沢山ありますよね!
古老 編集 RES
不明なこと
2007/03/04(Sun)17:42:32
作者不明 結構ありますね。
でも、これがわかると凄くうれしいんですよね。
記録が残っていないというのは残念ですが、そのあたりをいろいろと想像するのも楽しかったりしますね。
関戸郷 編集 RES
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