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さて、今年も残すところわずかとなりました。
本年、大楠公新聞をご愛読いただき有難うございました。
来年も一つ大楠公新聞を宜しくお願いいたします。
(もう更新するつもりの無いのがバレバレのご挨拶w)

さて、年末といえば「忠臣蔵」ですね。(強引です)
年末のスペシャルドラマなどで必ず放送される定番中の定番です。
この忠臣蔵、大石内蔵助率いる赤穂浪士47士が亡き主君の仇吉良上野介を討つ物語です。
この忠臣蔵のお話は、もともと文楽や歌舞伎で上演されて大人気になった演目です。いわゆる「仮名手本忠臣蔵」ですね。
人形浄瑠璃としての初演は(1748年)寛延元年8月14日から11月中旬まで大坂道頓堀竹本座であり、同年12月1日より大阪道頓堀中の芝居で歌舞伎化。江戸での初演は寛永2年2月6日より森田座で、京都では同年3月15日より早雲長太夫座であり、以降、途切れることなく現代に至るまで上演されつづけている大人気演目です。
さて、この「仮名手本忠臣蔵」ですが、現実のお話を元に作られています。
現実のお話は、現在ドラマなどでやっているおなじみの赤穂浪士の討ち入りの史実です
赤穂浪士の討ち入りは、当時の刺激的な出来事でしたのですぐに芝居に取り入れられます。
当時は、幕府の検閲がありますから、この「仮名手本忠臣蔵」はお上をはばかって過去の架空の出来事とされて書かれています。当時は、幕府によって実在の室町以降の大名家に関する話を絵や芝居にする事を禁じられていました。余談ですが、このあたりの事情が山車人形の題材に室町以降の武将などが少ないという事と関連があると個人的には思っています。


ですので、過去の架空の出来事としておりますので登場人物も時代背景も史実と変えています。
大石内蔵助→大星由良之助(おおぼし・ゆらのすけ)
浅野内匠頭→塩冶判官高貞(えんや・はんがん・たかさだ)
吉良上野介→高武蔵守師直(こう-の・むさしのかみ・もろなお/のう)
といった具合です。

高師直といえば楠正成の宿敵、足利尊氏の参謀的な部下ですね。
という事は、時代設定は南北朝の頃です。

この仮名手本忠臣蔵以前の、赤穂浪士の討ち入りを扱った歌舞伎・人形浄瑠璃の狂言としては『東山栄華舞台』((1702年)元禄15年3月、江戸山村座)、『曙曽我夜討』(1703年、江戸中村座)、『太平記さざれ石』(1710年)、『鬼鹿毛無佐志鐙』(1710年、吾妻三八作)、『碁盤太平記』(1710年、大坂竹本座、近松門左衛門作)等の諸作があり、世界も小栗判官、曽我物語、太平記などあったのですが、『碁盤太平記』あたりから世界を太平記とし、各役の振分けが固定しいき、これを受けて忠臣蔵ものの集大成として作られたのが仮名手本忠臣蔵なのです。

なぜ、南北朝時代に設定したのか?
それには太平記読みという江戸時代の庶民の楽しみが関係してきます。
江戸時代には「太平記読み」ということが広く行なわれ、講談・芝居を通じて楠木正成の挿話は江戸庶民なら誰でも知っている話でありました。
江戸庶民の倫理観の根本となっていたからです。楠正成・正行の親子は太平記でもっとも好意的に描かれている人物であり、天皇に対する「忠義」・さらに正行の母に対する「孝心」は庶民の手本とされました。
正成・正行親子は、江戸の庶民のヒーローであり、「忠孝」の理想像であったのです。
この時代の講釈場では、楠正成が最高の人気の演目であったので、客の入りが悪くなると、門口に「今日より正成出づ」の張り紙が出る、つまり本日の演目は楠正成だぞ、というのが効果てきめんの客寄せの宣伝文句であったと言います。こうしたことは明治時代の講釈場でも続いたそうです。

「楠のいま大石となりにけりなほ(名を)も朽ちせぬ忠孝をなす」
 という落首が赤穂事件の直後に出たといわれています。

「太平記読み」という精神土壌があった当時の庶民にとって、「忠臣」と言えばそれは誰よりもまず楠正成のことを指したのですが、江戸の庶民は吉良邸へ討ち入り亡君の無念を晴らした大石内蔵助の行為を見て、内蔵助は正成の生まれ変わりだと直感したのです。しかも吉良家というのは江戸時代においては足利家の名跡を伝える唯一の家柄でした。吉良家・すなわち足利家の血筋を断絶に追い込んだ内蔵助は、江戸庶民にとってはまさしく「正成の生まれ変わり」であったのです。

元禄時代に書かれ大人気をはくした「仮名手本忠臣蔵」。
史実としては全く関連の無い太平記と忠臣蔵の世界ですが、稀代の忠臣として楠正成と大石内蔵助を重ね合わせて見ることにより、当時の観客の共感を得た名作品となったようです。

※参考site
ウィキペディアー仮名手本忠臣蔵ー
太平記読みと忠臣蔵
由良之助は正成の生まれ変わり

長々と書きましたが、殆ど上記URLのコピペです
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